平成30年度 地域国際化ステップアップセミナーin福山

平成30年度地域国際化ステップアップセミナーin福山
『ダイバーシティ × 防災』 誰一人取り残さない
~自然災害の経験を踏まえて、これからに備える~
SDG目標11:住み続けられるまちづくり

開催日:2019111日(金)13:3017:30

会場:エフピコRiMセミナールームA

参加者数:88名(自治体、地域国際化協会、その他/講師・クレア職員・スタッフ含:106名)

【プログラム】

1

13:30-13:35

開会挨拶 (一財)自治体国際化協会 多文化共生部長 横田宗親

13:35-13:40

来賓挨拶 福山市市役所市民局長 小葉竹 靖様

13:40-14:00

「誰一人取り残さない災害対応をめざして ?近年の取り組みから~」

一般財団法人ダイバーシティ研究所 代表理事 田村 太郎氏

14:00-14:20

「災害時の外国人支援の実情と課題」

公益財団法人ひょうご震災記念21世紀研究機構 

阪神・淡路大震災記念 人と防災未来センター 研究部 研究員 楊 梓氏

14:30-15:35

事例紹介(各20分)

事例紹介1:「西日本豪雨災害を教訓として」 

 ふくやま国際交流協会 事務局長(福山市市民相談課長) 岡崎 俊輔氏            

事例紹介2:「外国人住民が主体となる地域防災と災害時対応」

  岡山県総社市市民生活部 人権・まちづくり課 国際・交流推進係 主事 譚 俊偉氏

事例紹介3「広域連携による災害対応の現状と課題」

NPO法人多文化共生マネージャー全国会議 理事 

安芸高田市国際交流協会 事務局長 明木 一悦氏

事例紹介4「企業における外国人の雇用と西日本豪雨水害での対応について」

ダイキグループ 株式会社ダイキ 海外事業部次長 菅野 竜平氏

15:55-16:10

質問用紙回収・休憩

2

16:10-17:25

パネルディスカッション   
  ファシリテーター:田村 太郎氏

 パネリスト:楊梓氏、岡崎俊輔氏、譚俊偉氏、明木一悦氏、菅野竜平氏
 コメンテーター:NPO法人全国災害ボランティア支援団体ネットワーク(JVOAD)事務局長 明城徹也氏

17:25-17:30

閉会

■はじめに

さまざまなちがいを受け入れ、多様性に配慮した地域や組織をめざす取り組みとしての「ダイバーシティ」は、国連が掲げる「持続可能な開発目標(SDGs)」の基盤である「誰も取り残さない」という考えに通じます。

スピードとボリュームが最優先される災害時は、多様性への配慮が後回しにされがちです。誰も取り残されない災害を考えることは、災害大国日本においてとても重要です。折しも本年は記録的な豪雨、台風、そして巨大地震に見舞われ、新たな課題も見えてきました。

そこで防災における「ダイバーシティ」の視点の重要性を認識し、特に今後も増加が予想される外国人への災害時対応に焦点を当て、今後、災害に備えるために何をすべきかを考える機会としました。

●話題提供(1)
「誰一人取り残さない災害対応をめざして~近年の取り組みから~」
講師:田村 太郎氏
一般財団法人ダイバーシティ研究所 代表理事

田村 太郎氏

今日は、災害対応についての話をさせていただきます。

来年で24年が経過する阪神淡路大震災をきっかけに、私は外国人への情報提供を始めました。阪神・淡路大地震は戦後の日本の自然災害において、いまも「外国人が一番たくさん亡くなった災害」です。それから24年で色々なものが変わりました。阪神・淡路大震災当時は携帯電話がまだ普及しておらず、通信手段は公衆電話でした。日本の高齢化も進みました。外国人住民や観光客は増えました。

今日、私はダイバーシティ研究所の代表ということできております。普段はダイバーシティの研究をしていますが、災害が起きますと避難所にお邪魔をしたり、その後の復興のお手伝いをしたりしています。なぜかと言いますと、災害が起きると多様性への配慮が後回しになってしまうからです。例えば今日、ここに80人ちょっとの方がいますが、もし5分後に地震が起きて皆さん帰れなくなったら、この部屋か、この建物の中で避難することになります。皆さんお一人おひとりが多分色々なニーズを持っていると思いますけれども、例えば塩分を控えないといけないとか。飛行機の中でも国際線に乗りますと、「ビーフですかチキンですか?」と聞いてくれますが、避難所では「塩分控えますか」とか、「糖分大丈夫ですか」とか、そういうことは一切聞かれないです。

いかに早くこの80人分のお弁当を届けるか。これが災害時対応です。つまり、スピードとボリュームが優先されるのが災害時対応です。スピードとボリュームが優先されると困ってしまう人が必ずいます。病気の人、障がいのある人、日本語がわからない人。災害の時は、本来は最も配慮されるべき人達が後回しになってしまう。これを何とかしたいなという思いがあり、私たちは災害時にでかけていくのです。特に去年は災害が続いて、本当に忙しかったです。今、ダイバーシティ研究所の仕事の7割くらいが災害関連です。私たち研究所では、外国人のこと以外にも広く災害全般のことに関わらせてもらっています。

今日は全体のテーマが[ダイバーシティ×防災]ということになっています。誰一人取り残さないというキーワードは、SDGs(エスディージーズ)、・持続可能な開発目標と連動しています。今日初めて聞く人もいるかもしれません。Sustainable(サステナブル)なDevelopment(ディベロップメント)のためのGoals(ゴールズ)です。もともとは2000年にMDGs(エムディージーズ)、ミレニアムを記念して開発目標を定め、2015年までに世界から貧困をなくそうというものでした。15年経ってみて、達成できていない状況だったので、更に15年、2030年までに達成する目標SDGsを国連で定めています。この中に書かれていることは、ざっくり言うと、「環境に配慮しましょう」ということと、「人権に配慮しましょう」という二つです。細かくみると17の目標に分かれています。この中でとくに防災やダイバーシティに関連することはいくつかありますが、今日のチラシで言いますと11番目の目標「住み続けられるまちづくり」というところに紐づけています。

最近特にグローバル企業などでは、SDGsに連動した経営目標を立て、雇用やビジネスの行動を改めるようなことが行われるようになっています。特に災害時、多様性配慮はどうしても後回しになってしまうこともありまして、「誰一人取り残さない」のところがリスクに晒される。今日のテーマである[ダイバーシティ×防災]を日本語でいうと「誰一人取り残さない」というキーワードになります。また今日はその中でも、特に外国人をテーマにしてディスカッションします。

まず、日本における災害対応全体がどうなっているか整理をしてみます。近年、特に東日本大震災以降の大規模災害における課題を整理してみました。日本の災害対応は、地域での助け合いが前提になっています。高齢化の進展で率直に申し上げて、地域での助け合いが、もう今の日本では出来なくなっています。そのため、今までと違う災害時対応を考えないといけないのですが、今までどおりの災害時対応をしているので、誰一人残さないどころか、みんなが取り残されてしまっている。こういう状況になっているのが今の日本の災害対応です。外国人だけが取り残されているのではありません。多くの人が取り残されてしまっている。災害が起きるたびに、日本の色々な仕組みが良くなっていくものだと私は信じてやまなかったのですが、率直に申し上げて、東日本以降の災害は、起きるたびにひどくなっているなという印象を私はもっています。

なぜこういう状況になってしまったのか。まず一つは災害に関しての考え方に、そもそも課題がある。地域で助け合ってくださいということになっていますが、それは地域に、ある程度若い男性がいるという前提です。防災と言いますと大体男性がやることになっています。様々なところで防災をテーマにお話しますが、高齢の男性がたくさん来られます。もっと色々な人が参加をしないといけないのですが、残念ながら、日本の防災はシニアの男性の世界になっている。これは改めないといけない。

あとは、温暖化です。今後恐らく毎年、西日本豪雨災害級の水害が来ると思わないといけない。これは温暖化の影響です。残念ながら地震も活発期に入っているので、毎年震度7程度が来ると思わないといけない。水害もひどいのが起きるし、地震も大規模のものが来る。「何十年に一回来る」というのが災害じゃなくて、「毎年一つ二つ来る」というのが災害だと、災害そのものに対する考え方を改めないといけない。災害そのものに対する考え方を改めましょうというのが一つ目の課題です。

二つ目は高齢化にどう備えるのか。地域で助け合えと言っているけど、地域はどちらかというと助けられたい人がいっぱいで、助ける側の人がいないじゃないか。これでどうやって地域で助け合うのかということです。岡山・広島では、今回水害でたくさんの高齢者が亡くなっています。今までの経験が足かせになると言いますか、「瀬戸内は温暖だし、雨が降っても大丈夫だろう」という考えが避難行動を遅らせているという印象があります。もう一つ年配の方の印象として「何かあっても、役所がしっかりしているから大丈夫だ」という思い込みがあります。役所がしっかりしていたのは30年前の話。いまの役所にはお金がありません。財布が空っぽの上に穴が開いています。昔出来たことは今の役所にはできません。そういう前提で考えなければいけないのですが、どうしても私たちは昔の役所のイメージがあるので、きっと役所が助けてくれるに違いないと思い込んでいるのです。でも、それはもう無理です。役所は職員も減り、財政も厳しいということを踏まえた、被害を拡大しない仕組みを作らないといけないというのが、今の日本の災害対応の置かれている現実だということを、まず今日共通認識を持っておきたいです。

このまま放置しているとどうなってしまうか、或いは近年の災害でどういうことがおきているのかをダイジェストでお伝えします。

まず逃げ遅れ。東日本大震災では、津波でたくさんの人が亡くなりました。お子さんも大人も亡くなっていますが、数字で見ると、圧倒的に高齢者がたくさん亡くなっています。障がい者は平均の2倍亡くなっています。逃げ遅れです。平日の昼間に災害が起きたら、みんな逃げられないです。30年前は平日の昼間に近所の人がいたのです。今の日本は東京も田舎も平日の昼間は地域に人がいない。地域にいる人はお年寄りと未就学児童がいる家族だけです。助けられないです。なので、逃げ遅れて亡くなってしまいます。何か違うやり方考えないといけないです。

ボランティアもなかなか集まらないです。私は、東日本大震災の後、内閣官房の職員になりましてどうやって東北にたくさんボランティアに行ってもらうかを担当しました。実際に行ってみたら、ボランティアは全然足りていなかった。若い人はボランティアに関心がなくなったとか、軟弱になったというわけではありません。今の大学生は、生活に余裕がないのです。今の大学生がアルバイトをする理由の第一位は、生活費・学費のためです。30年前、阪神淡路大震災の時のアルバイトの目的は、遊ぶお金でした。今は、アルバイトをさぼったら学費が払えません。授業も結構厳しいです。就職も大変です。だから被災地に大学生は行けないのです。今、ボランティアの主力は、誰ですか? 周防大島で2歳の子を発見したスーパーボランティア尾畠さんは78歳です。今、日本のボランティアの主力はシニアなのです。2030年前の様子とはずいぶん違います。だから、災害が起きた時にたくさん若いボランティアが来てくれるというのも昔の話です。避難所の運営も物資の配達もなかなか厳しい。避難所に行ってから人が亡くなることも後を絶ちません。

ご存じのとおり熊本地震での死者の8割が避難生活以降の死者です。大変厳しい状況です。昔は、避難所に行けばなんとかなったかもしれませんが、今は避難所に行ってもなんともならない。いつまで経っても男性が防災を考えていますので、仮設トイレなどは、なかなか改善されない。元気な男性以外は避難所にいるのがつらいのではというのが正直なところです。なかなか改善できない。避難所運営にダイバーシティの視点をどうやって取り入れるかが大事です。でも、男性が悪いのではないです。元気な男性だけが避難所運営に関わっているから、女性や元気ではない人のことはわからないということだけです。その証拠に、仮設住宅に行きましたら孤独死しているのは圧倒的に男性なのです。なぜかというと仮設住宅で見守りに従事しているのはほとんど女性だからです。男性の悩みは気づけないのです。 仮設住宅で孤独死するのは男性が多いのです。男性は50代の肝疾患が多いですが、女性は80代の心血管疾患。多くは風呂上がりのヒートショックです。男性は時間が経ってから発見されます。女性は比較的発見も早い。男女で全然違います。

建設業に従事している人がピーク時より4分の1ほど減っていまして、復興にも時間がかかるようになりました。建設業従事者数のピークは阪神・淡路大震災の2年後です。それからずっと減っており、東日本以降も増えていません。阪神・淡路は私の地元なので、あのスピード感が標準だと思っていて、東北ではなぜこんなに時間がかかるのかと思っていましたが、工事の現場で働く人が減っているからなのです。東日本以降も災害は続いていますが、増えてないのです。ここにも今、外国人の力も借りていますが、残念ながら外国人の建築労働者も期待ほど増えてない。そのため、これからの災害は復興にもっと時間がかかるかもしれない。これから建築労働者が急に増えるとはあまり考えられないです。

私たちは2015年に、太平洋沿岸の自治体の災害対応の取り組み状況を調査し、点数化して高齢化率をかけあわせてみました。その結果、高齢化率が上がるほど、対策が下がっているという状況がわかりました。普通逆であって欲しいわけです。高齢化率が高くなるほど災害対応が充実してればいいと思っていましたが、高齢化率が上がれば災害の取り組みが下がるのです。理由ははっきりしています。自治体にお金がないのです。対策が打てない。高齢化率が上がると、税収が下がるので対策が打てないのです。

この調査では、災害時の取り組みを点数化しました。まずは高齢化率が高くても、何とか乗り切れる「避難所力」をつける観点から、日ごろの備えについて調査しました。それから、一つの地域で何とかなる時代は終わりましたので、広域で連携していかないといけないという観点から、他地域との連携の状況についても調べました。その結果が、本来は備えていて欲しいところほど、備えができていないことがわかったのです。

今までの日本の災害対応そのものを見直さないといけない。そうしないと、誰一人取り残さない災害対応は、まるで無理だということです。それをまず今日、これからの議論の前提に置いてほしい。日本の素晴らしい災害対応の上に、ちょっと通訳すれば外国人が助かるとか、そういうレベルの話ではありません。日本の災害対応そのものが年々貧弱になっています。その中で外国人が増えている。これをどう捉えるのかをこれからの事例発表の中でぜひ頭において聞いていただきたい。

最後に少しだけ外国人の災害時対応について、課題を解説して終わりにしたいと思います。困りごとを大きく分けると三つ。一つ目は、事前の情報のストックがないことによる困りごと。二つ目は、災害が起きてから、流れる情報に配慮がないことによる困りごと。三つめは、日本人側の理解不足による困りごと。この三つです。多言語化して対応できるのは二つ目だけです。流れてくる情報を翻訳すればなんとかなるのは二つ目の、災害が起きてから流れる情報への配慮のところだけです。

一つ目のストック情報がないことによる困りごとを解決していくには、普段からの訓練や地域のまちづくりに、外国人に参加してもらわないといけない。日々の努力が大事です。三つ目も同じで、普段から外国の人が地域で暮らしているという事実を日本の人に知ってもらわないといけない。今日のような機会を増やしていかないといけないということです。ただ情報を多言語化すれば外国人は助かるというものではありません。

フロー情報とストック情報の違いについては、次のページに書いています。ストック情報とは、地域でどんな災害が起きるのか、どこへ避難すればいいのか、避難所にいったらどんな良いことがあるという、事前の教育や情報提供によって蓄積される情報のことです。ここが外国人の方はわからない。したがって、ここをサポートしないといけない。

今申し上げたのは、災害が起きて弱い立場に置かれる外国人についてですが、一方で、日本で永住者資格をとって暮らしている外国人も、毎年2万~3万人ずつ増えていて、ある程度のストック情報をお持ちです。外国人が日本で永住者資格を取得できるということも、多くの日本人の方は知りません。日本は移民国家ではないと言われ、外国人が永住者資格をとって日本で暮らすことができることすら知らない人も多いですけれども、原則10年継続して日本で暮らしていて、申請をして認められるのが日本の永住者資格です。様々な困りごとがあって、困難に直面する外国人という側面もありますが、もう一方で長く日本で暮らしていて力になってくれる、担い手として活躍してくれる外国人の人もいます。この人たちの力を借りませんか。

法務省が一昨年、日本に暮らす外国人にいろんなアンケートをとっていて、そのなかで「日本語での会話ができない」と答えた人はたった10%でした。読み書きはできませんが、会話はある程度はできるのです。もちろん複雑な日本語はわかりません。

外国人旅行者も増えていますね。今、福山もプロモーションされていますけが、観光客が増えていく中で、ある程度日本語ができる永住する外国人に間に入っていただき、情報のサポートをしてくれれば、非常に心強いのではないかと考えます。

まとめますと、災害時も安心できる多文化共生のまちづくりを進めていただくということが、外国人の方の災害の時の不安を取り除くと同時に、地域全体の不安を取り除いていくことにつながります。高齢化と人口減少で年々、残念ながら脆弱になっていく日本の地域力を何とか支えてくれる担い手としての外国人という側面も、今日ぜひ議論の中に据えていただけたらと思っております。

つまり、外国人が取り残されない災害対応ではなくて、外国人の方々と一緒に、誰も取り残さない災害対応を目指していこうという視点を、みんなで持つことができたらいいなと思っております。以上、冒頭の話題提供でした。

●話題提供(2)
「災害時の外国人支援の実情と課題」
講師:楊 梓氏
公益財団法人ひょうご震災記念21世紀研究機構
阪神・淡路大震災記念
人と防災未来センター 研究部 研究員

楊 梓氏

ご紹介ありがとうございます。私は楊梓(よう し)と申します。少し自己紹介したいと思います。私の地元は中国の長春です。あまり災害が無いところで、冬はとても寒いです。

なぜ防災を研究するかというと、大学3年生の時に中国の四川省で大きな地震が起こりました。私はその当時は行政管理、つまり政府のマネジメントを勉強していて初めて「危機管理」という言葉を聞きました。そして防災や危機管理の勉強をしたいと思って日本に来ました。東日本大震災の後に横浜国立大学に進学して、災害と外国人について研究を始めました。

今の職場、人と防災未来センターに入って、2018年の4月から継続して研究をしていますが、センターの業務としては、災害の後に被災地に行って、主に行政をサポートする仕事もしていて、入所早々に大阪地震や他の地震の現地支援をしていました。本日は皆さまに自分の研究調査の結果と現地支援で分かったこと、感じたことを皆さんとシェアできたらと思います。

いきなりですが、ここに何人かの外国人がいます。例えばフランスからの観光客、ボリビアの留学生とかベトナムの技能実習生、パキスタンのビジネスマン、フィリピン人の主婦、中国人のお爺さんがいますが、彼らに対して同じ支援でいいでしょうか?必要な言語も異なり、災害時に必要な情報やニーズも異なっています。

先ほども田村先生がはっきり言われましたが、ただ情報を通訳するだけじゃいけない。日本に住んでいる外国人は、どのような特徴があるかということを、先ほど田村先生がデータを見せてくださいました。去年の6月のデータによると、短期滞在者の外国人を含めて在留外国人は約321万人住んでいて、約200か国から来ています。当然、習慣、言葉、宗教、文化などが多様で、その中には長く住んでいる永住者、特別永住者、日本人配偶者もいるし、就労で来た人や留学生もいます。そして、日本にばらばらに住んでいます。例えば東京など集中している地域もありますが、地方に点在している地域もあります。このような現状で、外国人に対して災害対応を含め、多様なサポートと多様な立場の人からの支援が必要となります。災害の場面において、災害が発生したらどう支援したらいいかと考える時に、様々なアプローチがあると思いますが、私は避難行動から考えてみました。災害後は、必ず避難所に行くとは限らないので、外国人の災害後の動きを把握すれば、避難所以外の支援場所と支援の内容を考えることが出来ます。また、誰が外国人を支えるかが分かれば、支援になりうる主体、つまりその団体と組織間の連携を考えることも出来ます。本日は、これらの話を踏まえて、大阪北部地震と熊本地震の違いを通して、紹介します。

大阪地震は去年の618日、出勤時間帯に発生しました。最大震度は6弱です。10月まで私は震源近くの高槻市・茨木市・箕面市・吹田市・豊中市を対象に、災害時の外国人対応についてヒアリング調査を行いました。

この表は、被害状況と2017年の外国人人口の概要、また2015年国勢調査を用いた外国人人口分布を示しています。ここで分かっていることは、外国人が多く分布しているところが大学周辺であるということです。

また、外国人の情報について2つに分けました。外国人の情報があがってこなかった状況もありましたし、避難所で姿が見られなかった地域が多数です。避難していなかった外国人もいました。外国人かどうかを判断できないところも結構ありました。その一方、特定の避難所に100人以上の外国人が避難したところもありました。また1週間以上避難した外国人もいます。今後は外国人被災者の状況をアンケート調査する予定です。

特定の避難所に集まったのは、箕面市です。ほぼ外国人だけの避難所となっていて、自主防災組織の方もとても驚いていました。そして、その外国人はボランティアが避難所運営しているということも知らなかったので、自主防の方に対して「トイレが汚い。掃除をしてもらえませんか?」と言ったそうです。国際交流協会と市の方は、その情報が入ってから、避難所を巡回しました。外国人を集めて日本語が話せる人を募ったところ100人の中で約40人が手を挙げました。そして言語ごとに、通訳リーダーを選んで避難所のルールなどを教え、外国人も避難所運営を手伝うことになりました。今、ここの避難所は大学と一緒に今後の対策を考えているところです。

大阪の調査はまだ終わっていないので、次に熊本の事例として外国人の行動を紹介したいと思います。

熊本は、人口分布をGIS(地理情報システムの略称)でみると主に真ん中に集中していて、大学周辺に多く分布していることも大阪と似ているような傾向でした。そして、地震が発生した後自宅に戻るまでの行動についてヒアリング調査を行いました。その結果、日本での滞在時間と在留資格によって行動パターンが異なることがわかりました。そして、そのグループを分けて詳細を見てみました。二つのグループに分けました。

一つ目のグループは、永住者や日本人配偶者のような日本を生活基盤としている人、二つ目は留学生や労働者です。そして、一人ひとりの行動をこのような図に書いてどこに避難したかなどを表にしました。日本を生活基盤としている人の大きな特徴としては、自宅の周辺に避難していたことです。グループ二、つまり学生や仕事をしている人達の大きな特徴は、職場や学校に避難していて、そのあとは県外又は海外へ多くの人が避難していました。

一連の調査から、大学、国際交流協会などの公共施設は外国人の避難、支援の場になるとわかりました。過去の災害からみると、外国人集中地域は災害時に外国人が集結する可能性がありました。また熊本地震調査によると、在留外国人が多様な避難行動をとる可能性を示しました。被災地以外に退避する外国人もいるのですが、日本人と同様に被災地内で避難生活を送る外国人もいます。外国人の災害時のニーズも調査したので、配布資料の中にあると思います。ここでは結論だけを話しますが、地震によって日本人と同様にライフラインの停止などの心配がありますが、避難所での孤独感、言語の問題など、外国人特有の課題も見えました。

外国人を誰がどう支援したかについて紹介します。現時点では、大阪で分かったことは全ての地域での多言語情報支援センター設置運営は難しいということです。地域が持つ資源や災害規模、外国人ニーズに応じた対策を調整することがとても大事ということがわかりました。みなさんの手元にある二つの資料はまだ公開していないものであり、参考程度でよろしくお願いします。

今回の調査の地域は二種類あります。一つは市内に外国人対応ができる人材や団体が少なく、主に行政職員の外国人担当または防災担当をしているところです。ここは茨木市と高槻市です。茨木の事例を見てみると、茨木市は災害の後ある程度の時間で英語・中国語またやさしい日本語の情報発信ができるのですが、常駐のスタッフがおらず外国人からの相談が難しかったので、大阪国際交流協会のネットワーク大阪を通じて要請を出しました。他の国際交流協会の職員またスタッフが助けに行きました。

もう一つのタイプについては、国際交流協会がある地域で、大阪府豊中市と箕面市また大阪市も国際交流協会が対応をしました。主に多言語情報発信とか多言語の相談避難所巡回の対応をしましたが、スタッフの人数や外国人のニーズに応じて、調整する事例もありました。例えば豊中の場合は、途中から関係団体への翻訳要請を出していて、自分たちは避難所巡回や人数の把握などに専念しました。箕面の場合は、外国にルーツを持っているスタッフがたくさん在籍しているので、それを活用してモンゴル、ロシア等の言語にも対応出来ました。また先ほど話したように地域、避難所で通訳リーダーを選ぶような対応もしました。

話を熊本地震に戻すと、実は熊本地震の時も国際交流協会は様々な対応をしました。多言語情報対応や外国人のための相談会もしました。ここで一番特徴的なことは、国際交流協会の所在地である国際交流会館が熊本市地域防災計画の中で、外国人避難対応施設として指定されていることであり、日本においては特徴的な事例だとわかりました。また、益城町は国際交流協会がないので、地元のNPOなどのボランティアさんたちが外国人を助けたり、必要な情報物資も届けました。また、JICAや各国の大使館、大学の組織や団体も、積極的に外国人の支援を行いました。更にここで、一番私が話したいことは、熊本の時には、外国人が支援の担い手になっていたということです。

先程も田村先生の話にもありましたが、外国人に担い手になってもらうことが今後の大きな課題と私も思っており、東日本大震災の時も熊本地震の時も、その力を見せてもらいました。二つの事例を紹介します。一つは留学生会。ある留学生会は領事館と連絡をして大学に避難している外国人を福岡まで連れていくというお手伝いをしました。また、留学生会のメンバーは避難所でボランティア活動をしたり、物資を地域の住民に配布したりしました。もう一つは教会です。信仰をもっている方もいらっしゃるので、教会として外国人の支援をしました。特に教徒への外国語の情報提供、習慣に合った食事を提供しました。さらに全国からの支援が届き、外国人のみならず地域住民や友好団体にも物資を提供しました。

まとめに入ります。

この写真は田村先生と譚さんは良くご存知と思いますが、7月豪雨の時に真備町の避難所に行ったときの写真です。

譚さんのような人材の需要を改めて感じています。

災害時の、外国人の支援には要点があると思います。まずは彼らの行動・人数を把握することです。最初に言ったように、さまざまな外国人がいて害時の行動も多様です。避難所に行く人もいれば、行かない人もいる。また災害時の言語の問題。個人個人の生活による困りごともあります。なので、事前に支援場所の把握をする必要、指定避難所以外に外国人がよく利用する場所を把握する必要があります。

そして、そうした場所での多言語支援や心のケアの提供、個人のニーズに応じた支援の提供が可能と考えられています。ポイントは、組織・団体間の連携です。外国人のニーズを吸い上げるのが難しいという現状がありますが、外国人コミュニティはそのニーズを知っていて、また、大学や企業のように外国人を受け入れているところ、普段外国人と接触のあるところ(国際交流協会・JICANPO団体・ボランティア)は外国人のニーズは把握しています。しかし、一番難しいのは、行政と支援組織です。なので、こういうところと上手く連携することが地域にとって、重要な課題ではないかなと思います。またこれは災害時だけではなく、平時からの関係づくりや情報共有が必要と思っています。

ポイント3つ目は、外国人担い手の育成です。仙台防災枠組みの中でも指摘されています。外国人は受援側に立っていて多様性の理解をしています。その上で、そのニーズを把握して災害時にまた平時でも合理的な配慮の提供をその受援側にしていただく。その上で、彼らのもつ可能性を発揮させ、支援側に育てることが今後重要な課題ではないかと思います。理想論を話しましたが、具体的な解決方法はこの後の講師方々から紹介していただくことと思いますので楽しみにしていてください。

●事例紹介(1)
「西日本豪雨災害を教訓として」
岡崎 俊輔氏
ふくやま国際交流協会 事務局長(福山市市民相談課長)

岡崎 俊輔氏

皆様、ようこそ福山にお越しくださいましてありがとうございます。ふくやま国際交流協会の事務局長の岡崎俊輔です。どうぞよろしくお願いします。

それでは、本題に入る前に当協会について紹介します。1990年に設立され、事務局は市の市民相談課にあり、事務局員は市職員が担っています。12月現在個人会員416人・団体会員35団体となっております。

続いて、福山市について少し紹介をさせていただきます。皆様、福山についてのイメージを何かお持ちでしょうか? ばらでしょうか? 福山市では、市民・企業などとの協働による「ばらのまちづくり」を進めており、全市挙げてのばらの植栽や手入れにより、2016年の市制施行100周年の年に、市内のばらは100万本に達しています。

 「福山」と名のつくオリジナルの品種も多くあり、全部で11種類があります。最近、洗剤のCМにも登場しているデンマーク人のニコライ・バーグマンは、「ばらのまち福山PR大使」でもあります。

2024年には、約40か国のばら愛好家で組織される世界バラ会連合の第20回世界大会が本市で開催されることが決定しています。

また、市内の施設はばらにちなんだ名前となっているものが多くあります。音楽ホールはリーデンローズ。屋内スポーツ施設はローズアリーナなどです。

 次に、福山城です。かつての外堀に建つ福山駅の新幹線ホームからもみえます。西日本名藩のお目付け役として徳川家康のいとこの水野勝成がこの地の譜代大名として入封し築いたものです。2022年には築城400年を迎えます。江戸時代、最後に築城されたお城であり、言い換えれば最新式のお城とも言えるかも知れません。

続いて、鞆の浦です。福山駅からバスで南に30分の鞆の浦は、古より「潮待ちの港」として知られ、瀬戸内海を航行する船が必ず立ち寄った港で、朝鮮通信使関連資料が、ユネスコ世界記憶遺産、江戸期の港湾施設は日本遺産、町並みは重要伝統的建造物群保存地区に登録・認定・選定されており、三つのそろい踏みは、全国唯一のエリアとなっています。また、幕末の志士坂本龍馬のゆかりの地でもあります。

最近の本市の話題は、ご当地ナンバープレートのカープナンバーです。ご当地ナンバーとは、趣向を凝らしたオリジナルデザインで自動車を走る広告塔にして地域の魅力を全国に発信していこうというものです。福山ナンバーに広島カープを使ったことで、この制度にエントリーした全国の41地域の中で登録数が断然トップとなっています。熊本の「くまもんナンバー」も抑えてのトップということで、割と頑張っています。「福山も広島県だぞ」ということを知ってもらう意図もあったことから、「所期の目的の一部は達成されたかも」と思っています。

以上、ご紹介できたのはほんの一部です。ご参加の皆様、明日は土曜日、明後日は日曜日ですので、どうかゆっくり福山のまちを散策していただきたいと思います。

それでは次に、福山市の概要について説明します。瀬戸内のほぼ中央、広島県の最東端にあり、市の人口は、約47万人。うち外国人人口は、12月末現在、55か国9,374人で人口の2.0%。5年間で約1.5倍に増えました。国籍は全国の傾向と同様に、ベトナム国籍(3,016人)が増えてきており、長年1位だった中国を昨年4月に抜きました。また、在留資格については、技能実習と留学で全体の半数を占めています。

気候は瀬戸内の温暖な気候で、雪も殆ど降らず台風も直撃は殆どない土地柄であり、大きな地震もなく、「自然災害が少ない、住みやすいまち」が自慢のひとつでもあります。こうした気候的には穏やかな街ですので、自身が災害に見舞われるという思いを持っていない市民が多いのではと感じています。そんな穏やかな町を今年7月、豪雨が襲いました。

ここからは7月におこった豪雨災害についてお話します。

初めに、皆さんにお話ししておきたいことがあります。

本市は、外国人住民への災害対応施策や多文化共生について、このあとお話しされる、総社市や安芸高田市のような先進地ではないということをまずもって御承知おきください。自然災害が少ないことで、協会や市民の中にも災害に対する危機感が低く、防災に対する意識が決して高いとは言えない街が突然災害に襲われた時、どういう状況となるかを皆様に知っていただこうと思います。

お集まりの皆様が、「自分の町であれば、どういった対応ができたのか?自分の町に足りないものは何なのか?」を再確認していただくための参考としていただけたらと思います。

まず、雨が酷く降り始めた75日からの気象状況と避難状況についてです。

75日(木)、朝8時に大雨注意報だったのが、12時には大雨警報に、18時には市の体制は警戒体制(第3体制)となり、洪水警報、避難準備・高齢者避難開始が発令されました。

6日(金)も雨は降り続き、19時から21時にかけて市内各地域に避難勧告が次々と発令され、避難場所も20か所を超え、市職員も次々と避難所へ向かい対応にあたりました。

2137分には、初の大雨特別警報に移行し、それに伴い市内全域に避難指示(緊急)が出され、市の体制は非常体制(第6体制)の最高レベルまで上がりました。

市内全域の避難指示は7日(土)、8日(日)も継続し、避難場所36施設、避難者は最大2,895人にのぼりました。避難指示が解除されたのは9日(月)朝になってからです。

その後、10日(火)には避難者数も30人に減少し、天候もようやく回復し、峠を越えたと思っていた矢先の11日(水)に、ため池の決壊や決壊の恐れが3か所で発生しました。再び避難指示が3回にわたり発令され、これにより避難所、避難者が再度追加されることとなりました。最終的に全ての避難所が閉鎖されたのは2週間後の724日のことでした。

続いて、被害の状況についてです。雨量について、例年、本市の7月ひと月分の平均雨量は、177ミリ程度ですが、今回は3日間で393ミリに達しました。災害によって亡くなられた方が関連死1人を含めて3人、負傷された方が3人、建物の被害は全壊・半壊あわせて88件、床上床下浸水は2,098件に上りました。

では、災害時の外国人住民への対応状況についてお話します。情報伝達についてどのように対応していたか?当協会ではこれまでも、様々な情報について、協会のFacebookに「やさしい日本語」で情報を出していました。災害本部からの緊急メールは、外国人には理解のできない難しい表現であることから、「やさしい日本語」や英語などに書き換えて発信しました。大雨予報が入ってきて以降、発信を続けました。

発信した内容は、災害本部からの緊急速報メールをやさしい日本語にリライトして発信。

給水・住宅・ごみや土砂撤去の情報をやさしい日本語にリライトして発信。被災者支援にかかる制度の内容をやさしい日本語・中国語・韓国語で発信。り災証明の様式を英語・中国語・韓国語に翻訳。

この情報伝達について、情報発信の体制について課題があり、反省すべきことがありました。

大雨特別警報や土砂災害警戒情報が出され、市の体制が非常体制に代わった最も危険な状況の際に、協会からのやさしい日本語での発信ができませんでした。その理由として、協会の事務局は市役所の市民相談課にあり、協会職員は、市職員でもあります。こうしたことから、災害時の動員体制に含まれており、市職員として避難所へ出向いての業務、災害状況の問い合わせ電話対応、全世帯への支援の周知業務など全市的な業務にあたりました。結果、情報伝達を始め、災害情報の把握が難しい外国人市民に絞った対応はできませんでした。やさしい日本語でのメール発信が再開できたのは、雨の降り始めから5日後の非常体制が解かれた9日(月)になってからです。外国人市民に対して、非常時の適切な情報発信や支援ができる体制について、見直す必要があり現在検討しているところです。

外国人住民の避難行動はどうだったのか。情報発信はしましたが、避難所に外国人住民が避難したかどうかが把握できませんでした。避難所に設置している、「避難者登録用紙」には、外国人かどうかを把握する分類項目に入っていなかったためです。今後は、外国人市民用として、自治体国際化協会が作成している避難者登録者カードを配置し、多言語による情報収集も可能な形にしていく予定です。

聞き取りによると、避難所へ行った外国人住民は殆どいなかったようです。情報が届かなかったために避難できなかったのか、または、理解できていたが危険度の理解ができなかったことから避難しなかったのか、原因も分かっていません。外国人市民に限らず日本人でも、実際に避難行動に結び付けるのはとても難しいですが、避難行動に繋がる情報発信について今後検討していく必要があると感じています。

外国人相談窓口はどうだったか。普段から、英語・中国語・ポルトガル語・スペイン語に対応できる職員は、本庁および支所に合計4人を配置しています。生活相談窓口の体制はある程度整っています。ただ、実際に災害の相談に来た外国人市民はさほどは多くありませんでした。

 課題をまとめますと、5つあると思います。一つ目は、災害時に外国人支援対応ができる体制づくり。二つ目は、やさしい日本語や多言語による情報発信の充実。災害対策本部からの緊急速報メールとのタイムラグのない発信方法を検討する必要があります。なお、7月の豪雨災害後の台風対応などでは、概ね30分以内の「やさしい日本語」による情報発信ができています。三つ目は、避難行動に結びつけるための外国人への情報発信の方法。防災訓練への参加などを通して、災害の怖さ、早めの避難の大切さを周知徹底が必要です。四つ目は、外国人の被災状況、避難状況の情報収集。外国人が要配慮者であることを認識したうえで、相応の対応をするための情報収集の手法を検討していきます。五つ目は、災害時に声をかけあえる関係づくりです。日本人住民の理解、普段からの関係づくりを進める必要があります。

これらの課題を踏まえ、豪雨災害以降、協会や地域、住民などが現在取組んでいることについて、これから8つのポイントを紹介させていただきます。

まず、1.「やさしい日本語」での積極的な発信と周知です。留学生などが多く参加したイベントなどを利用して、協会が災害情報をFacebookで発信していることを積極的に周知しました。この効果かどうかはわかりませんが、その後89月にかけて相次いで発生した台風や大雨の際には、豪雨災害の7月よりもFacebookのアクセス数が増え、またシェア数も増えました。また、協会がやさしい日本語であげた情報を見た人が、自主的に中国語やベトナム語など母語に翻訳して、Facebookに挙げてくれた事例もありました。やさしい日本語での発信によって、言語の壁が越えることができれば、情報を理解できた人が支援する側に加わることができると確認できた事例の一つです。

次に、2.「やさしい日本語」の学習です。市民を対象とした「やさしい日本語」の講座を昨年に続いて9月と11月に2回実施し、のべ68人の参加をいただきました。また、これとは別に、10月から11月には、市職員向けの講座を実施しました。災害時に避難場所へ行く職員も多くいることから、今年は、市民局の職員研修について、「やさしい日本語」の講座を実施しました。本庁と4支所で合計5回実施し、176人が学習しました。今後市の他部署でもやさしい日本語の研修を取り入れ、職員がやさしい日本語の重要性を認識し、業務で生かしていくよう、協会としても、「やさしい日本語」の講座を推進していきたいと思っています。

次に、3.「ボランティアのための外国語サロン」での学習です。協会では、英語・中国語・韓国語の会話を学ぶサロンを開催しています。豪雨災害をふまえ、各サロンにおいて福山市が発信した実際の災害情報を各言語に翻訳するための学習を始めました。災害情報は、普段使わない表現が多く含まれていることから、事前に学習をしておかなければ、緊急時にすぐ翻訳するのはむずかしいとの声もあります。災害時に市から発信される情報は、パターンがある程度決まっているものもあります。そのため、事前に定型部分を翻訳し、パターン化しておくことで、短時間の情報発信が可能となるよう、サロンの受講生たちは翻訳の学習をしています。こうした学習を通して、サロンの受講生が、自主的に外国語で声かけをしたり、メール等で災害情報等の発信をしてくれるよう、意識啓発を図るとともに、語学力を生かした支援に結びつくよう練習をしているところです。

次に、4.ワンペアレッスンによる関係づくりです。本市では、外国人と日本人がペアになって日本語を学ぶ取組をしています。現在29ペアが活動中です。教える側の日本人は日本語教師ではないため、学習の面では専門的な指導はできないかもしれませんが、日本語を学びたい人に対して、協会では、積極的にワンペアレッスンを推進しています。その理由として、ペアであることから、より親しい関係になれるというメリットがあるからです。日常の困りごとなども話せるような関係が作りやすいのではと思っています。外国人にとって、頼ることができる日本人が一人でもいれば安心感もちがうと思います。今回の災害時に、ペアの相手に連絡をしてくれた人もいました。良い関係が構築され、その関係により、災害時などの声かけにつながることを期待しているところです。災害直後の714日には、ワンペアレッスンの日本人を集めて、多文化共生マネージャーの方によるフォローサロンを開催しました。その際に、災害時に災害対策本部から送られた緊急メールを「やさしい日本語」にリライトする方法を学習し、改めて、ペアへの災害時の声かけについてもお願いしました。

次に、5.福山市ホームページ多言語翻訳です。市のホームページには多言語自動翻訳機能があります。ホームページに掲載される災害情報は、この機能を使えば、多言語に変換できます。今まで英語・中国語・韓国語・ポルトガル語の4か国語でしたが、ベトナム国籍の方が増えていることもあり、9月からはベトナム語を追加しました。

次に、6.外国人と日本人の交流事業です。日頃からの日本人と外国人とのつながりが重要と感じています。文化の日の113日「いろんな国のひととまち歩き」を実施しました。

主催者は、福山市、当協会および市内の大学や日本語学校で構成される「外国人留学生を支援する会」の合同開催でした。秋晴れのもと12か国160人が福山駅周辺のまち歩きをしました。日本人のリーダーのもと19チームがスタンプラリーで福山に関するクイズを解きながら交流を深めました。参加した皆さんからは「日本人と話ができてうれしかった」「友達ができた」「楽しかったからまた参加したい」と、うれしい感想をたくさんいただくことができました。こうした交流が、お互いの理解へとつながっていくよう、継続して実施してまいりたいと思います。

次に、7.地域主体の取組、全市一斉の総合防災訓練への留学生の参加についてです。福山市では、年に1回、全市民が一斉に行動する「総合防災訓練」を実施しています。昨年の1125日に実施した総合防災訓練において、市中心部のある小学校区では、学区内にある日本語学校の留学生が地域の住民と共に訓練に参加しました。地域が主体となって日本語学校に参加を呼びかけ、実現したものです。学区の会長が、避難行動をしてきた学区の273人に対して、学区に多くの外国人住民が住んでいる状況について周知してくださいました。声をかけあうことで情報共有ができ、一緒に避難できるようなご近所の関係が大切ですので、こうした外国人住民も参加する地域主体の訓練が市内各地に広がるよう努めていきたいと思っています。

次に、8.多文化共生のまちづくりのための活動をされている方々の聞き取り活動です。今回の災害を受けて、福山市を拠点に多文化共生のまちづくりのため活動されている方お二人が、日本語学校の学生や地域の日本語教室の学習者に、どんなことで困ったかなどの聞き取り活動をされました。災害直後に、自主的にこうした活動をしていただいた方がおられることを大変心強く思っているところです。聞き取り調査から見えてきた課題や提言など貴重な情報をたくさんいただきましたので、検討して行く予定です。

以上が、災害を経験して、協会や地域、住民などが取組んでいることです。

そろそろまとめに、入ります。当協会は、まだまだ災害時に果たすべき役割を十分に果たせていない状況にあると認識しています。外国人住民を災害から守るための課題も山積しております。課題の解決に向けて、努力を重ねていかなければなりません。

市民は、災害の時にも助け合うことができると私たちは思っています。それは、福山市民には、ばらを愛し、育てる中で育まれた、思いやり・優しさ・助け合いの心が根付いているからです。「思いやり・優しさ・助け合いの心」、私たちは、これを「ローズマインド」と呼んでいます。

 災害の時にも助け合える、ローズマインドの精神で一歩一歩、歩みを進めてまいりたいと思います。

 ご清聴ありがとうございました。

●事例紹介(2)
「外国人住民が主体となる地域防災と災害時対応」
譚 俊偉氏
岡山県総社市市民生活部 人権・まちづくり課
国際・交流推進係 主事

譚 俊偉氏

皆さんこんにちは、私は隣の岡山県の総社市から参りました。

今回、西日本豪雨の時総社市がどのような状態で、私たちはどのような対応をしたか皆さんにご紹介したいと思っています。

まず、私は20年前にブラジルから参りました。父が中国人で、母がスペインとイタリアのハーフで、私はブラジル生まれ、きれいな日本語を話す多文化共生の人間です。私たちが来日する時は、「別にわざわざ日本語を勉強しなくていいです。工場で機械のボタンを押せば、一日が終わりますよ。月の終わりにはいっぱいお金を貰って、稼ぐことが出来ますよ」と聞いて、お金持ちになろうと思って来ました。色々な所に行きましたが、なかなか仕事が見つかりませんでした。妻が日系2世で彼女ばかり仕事して、自分だけがずっと家の中にいて。それではダメだと思いました。

その後埼玉に行きましたが中々仕事がなく、和歌山でゴルフ場の仕事を始めました。そこでは全く日本語が出来ませんでしたが、キャディーとして働きはじめました。そこでお客さんと毎日会話しながら日本語を勉強しました。当時、すごく日本語教室に行きかったのですが、大抵の日本語教室は仕事を終えた後には終わってしまい、何より結構受講料が高い。その後、和歌山から岡山に移り、またゴルフ場のキャディーをしました。すでに10年くらい経っていて、「岡山の方って結構外国人いるなあ」と思っていました。それでも、通訳を頼もうと思ったら、病院で半日だと約1万円必要でした。お昼を超えると通訳に対して昼食代の支払いも必要でした。私たち外国人が病気になっても助けがあまりなく、どうしたらよいかと思いました。20年前は外国人相談窓口がありませんでした。市役所に行っても皆さんが堅苦しい日本語しか使わないので、市役所とかそういった所へは行きたくありませんでした。本当に怖くて。薬局で薬を買ったりして病気にならないようにしていました。

その後、派遣会社で仕事を始めた直後にリーマンショックが起きました。平成20年。リーマンショックで私はクビになりました。これからどうすればいいのか、色々な機関に行って相談すると「もうブラジルに帰ればいいじゃないですか?」と結構言われました。簡単に。「私はそんなに簡単に帰れないのです。」といつも強く言いました。

総社市には三菱関係の工場が多くあるのでブラジル人がたくさん働いています。市役所がブラジル人のための窓口を立ち上げるという仕事をハローワークで見つけて応募しました。採用され、10年間嘱託職員として総社市の相談員として働きました。去年の4月から正職員になりました。

総社市の概要です。人口は69,140人、外国人は12月に1,467人。今は1,494人です。どんどん増えている。福山市と同じようにベトナムの方がどんどん入ってきています。私の仕事は外国人の相談対応です。もう1人いて、その方は中国語の通訳、私はポルトガル語、英語、スペイン語の対応をしています。私は毎月大体120件から130件くらいの相談を受けています。

総社市では、外国人防災リーダー制度を始めました。なぜかというと東日本大震災の時に、皆さんがものすごく怖かったからです。地震の知識は無いですが南海トラフ地震の話も出てきたので、防災について学びましょうということになったのです。私たちは2日間防災について勉強しました。防災リーダーにはフィリピン・ブラジル・アメリカ・中国・ペルー・日本の方もいます。

今日のテーマに入ります。平成30年の西日本豪雨についてご紹介したいと思います。皆さんもテレビで見たと思います、(投影資料を指して)この写真の左側が小田川、ここが真備町です。その少し右側あたり、高梁川の右側が総社市になります。色々なところが決壊して、真備町の方にはたくさんの水が入りました。その時総社市はどうしたかということを話したいと思います。

当時一番心配したのは高梁川の水位がどんどん上がったこと。一番怖かったのはダムが決壊したら、町にどんどん水が入ってくるということで、すぐ災害対策本部が立ち上がり、危機管理室からの情報を聞きながら市のメールを出したりしました。外国人は市のHPを見ない。自動翻訳されるのですが、それでも見ないからすごく心配でした。そこで私はFacebookからどんどん情報を流しました。「川の水位がどんどん上がっていますよ」と、英語・ポルトガル語・スペイン語とベトナム語でも少し流しました。もう一人の職員は、WeChatを使って中国人にメッセージを流しました。一番怖かったのは避難勧告・避難命令・避難なんたらと色んなこと出てきて、たくさん種類があるのでどうしたらよいかわからないと困っていました。「もう避難した方がよいのか、避難しない方がいいのか、どっちかはっきりしてほしい。」という相談がありました。私は、不安だったので「皆さん避難してください」と言いましたがなかなか逃げてくれなかった。その後、総社市のアルミ工場が爆発しました。爆発音で皆さんが「うわ!川が決壊したんじゃないかな」と思って、日本人も外国人の方もみんな、一斉に避難所へ走って逃げました。

 把握出来た限りでは、外国人だけで300400人くらいが避難所にいました。76日のことです。次の日はたくさんの家屋が水没したり、土砂崩れや、特に総社市の北の方では水害がありました。私たち職員はとりあえず4日間帰れず、お風呂にも入れなくて辛かったです。総社市はそれほど大きな被害がありませんでしたが、隣の真備町はかなりの外国人が被災されました。

次の日、皆さん多分テレビで見たことがあると思いますが、総社市の片岡市長がツイッターで必要な支援物資について流しました。次の日1,000人くらいの高校生が集まりました。「私たちは高校生で、みんな元気ですし、何かできると思うのでボランティアさせてください。」と言われたので、被災した家に行って瓦礫の掃除などをしてもらいました。凄いなあと思いました。あと、全国から物資が届きました。被災者は総社市に来ました。総社市では、倉敷市であろうがどこの人でも関係なく、同じ人間なのだからどうぞ逃げてきてくださいとメッセージを出しました。その後夜中に市役所に電話がありました。工場から、働いているベトナム人と中国人の皆さんが帰ろうとしたら、周りの工場に水が一杯で帰れないと。その方たちに言葉が通じないので来てほしいと。それで、職員、私ともう一人の通訳さんが夜中に車で行きました。工場の周りには膝くらいの水が溜まっていました。中国の方には中国語で伝えたので皆さん理解できました。ベトナム語はグーグル翻訳を使って「今帰れない。」「なんで」「これだよ」っていう風に皆さんに伝え、今晩とりあえずここに泊ってくださいと伝えました。その他に真備町に住んでいる外国人がたまたま私個人のFacebookを見て、避難所行った方が良いと伝え、一人はすぐ避難しました。もう一人はその晩ワールドカップのブラジル戦を見てから行こうと思っていたら、気づいたら1階が水で一杯になって危なかったみたいです。次の日は外国人の対応について電話相談を受けました。本当に色々な所から電話が来ました。「罹災証明書、それ何ですか?」「外国人も使うのですか?」「私は家を買ったけど保険に入ってない、どうすればいいか」とか。そこから様々な問題が出てきた。私が感じたこと、例えば、総社市の罹災証明書は真備町とは違うのです。総社市については証明をいつ頃出せるか答えられるけれど、倉敷市については分かりません。私は倉敷市の罹災届の方法も更に勉強して皆さんに伝えました。もちろん真備町の避難所にも回りました。ここでも外国人の方が「次の日仕事に行かなきゃならないのですか」とか、「私は日本語が出来ないから、会社に電話して、今日は休みですか?と聞けないです。」とか。皆さんがFacebookのメッセンジャーで、「私の家の中こんな感じになっています。水が一杯です。」と報告してきます。

市では、忙しすぎて防災リーダーに「あそこへ行ってください、ここへ行ってください」と伝える余裕がありませんでした。それで私たちはもう、自主的に動いてもらうしかなかった。防災リーダーの中に釣りが好きな男性がいて、自分が持っているボートで助けに行ってくれました。この間、70歳くらいの女性が市役所の窓口に来て、「この間はありがとうございました。」と言ってくれました。女性は、「あの時は急いでボートに乗って、後で気付いたら外国人ばかりだったけど、命が助かってありがたい。」と言って。「おもちを作ったので、彼らに届けてください。」と言われました。すごく感動しました。

ボランティアに来てほしい、瓦礫を掃除してほしいなどお願いすることはたくさんありましたが、ボランティア要請の電話をしても待ち時間が長くていつ来るか分からない。それで私たちは、とりあえず自分たちで動いて外国人日本人関係なくとりあえず瓦礫掃除に行きましょうと。外国人コミュニティと防災リーダーと一緒に。外国人も、「私たちは、日本語はできないけど、100%日本の文化理解しているわけではないけど、でも私たちは元気だからボランティア出来ますよ。すぐボランティアに行きますよ。」と言ってくれて。色々なところへ行っていただいて、瓦礫の掃除などをしてくれました。愛知県半田市からブラジル人の中学生も来てくれました。私たち外国人も、外国人コミュニティとして募金活動をしたり、何もできないけど、炊き出しをしたいと言ってくれた人もいました。ブラジル総領事館や、外国総領事館からボランティアが来られたり、東京大学の留学生たちが総社市に来て、2日間ボランティアをしてくれました。

何より皆さんに伝えたいのは、これからの課題についてです。今回はFacebookWeChatを使ってうまくいきました。相談の対応が出来ました。しかし、もし自分が被災したらどうしたらよいでしょうか? 今後は南海トラフもあって、どうやって準備すれば良いのか。これから技能実習生がもっとたくさん入ってきたら、彼らの対応は誰がするのですか? 安否確認は市役所でもなかなか出来ない。情報発信をどうすればいいですか? 今回はFacebookで皆さんに配信したけれど、技能実習生はそもそも携帯電話の契約ができないからFacebookを見られるとしても夜自宅にいる時だけかもしれない。日中仕事の間は、「避難してください。」という警報が届かないのです。その場合誰の責任になりますか? これは私がいつも感じている課題です。今回私ともう一人で多言語支援センター対応を何とか最後まで出来ましたが、もし私たちが出来なかったらどこが支援するのだろう。行政やNPOなど様々な団体と連携して、多言語支援センターについても事前の話し合いをしておいて、いざという時にはお願いしますと決めておかないといけない。それから、外国人の防災知識を高めないといけない。方法としては、企業・大学・学校や行政で色々な説明会をしたり、パンフレット作ったり、防災訓練を呼び掛けたりという支援を、これからは頻繁にしなければならないと思っています。それから、アプリ。もし例えば、観光客が日本に来られて地震や災害があった場合、把握する方法としてアプリなど作ってくれるといいと思います。私は総社市とか岡山県の復興支援をまだ続けていっていますが、こうした課題を皆さんと一緒に考えたいと思っています。以上です。ありがとうございました。

●事例紹介(3)
「広域連携による災害対応の現状と課題」
講師:明木 一悦氏
特定非営利活動法人 安芸高田市国際交流協会 事務局長

明木 一悦氏

安芸高田市の国際交流協会から来ました。基本的に多文化共生の活動は交流協会以外にも市の多文化共生推進委員をしています。地域では、地域のまちづくりなど活動を行っています。防災については、東日本大震災の時に福山市の方と共に陸前高田市の支援を始めて、それから防災にも関わっていきました。

安芸高田市は3がキーワードで、三ツ矢の教えというものがあります。今はこの3つの柱で、活動をしています。明木と申します。よろしくお願いします。

まず、安芸高田市の多言語支援について、今日はお話を最初にさせていただこうと思います。今日は私に与えられたテーマは、連携についてと言うことだったのですが、これから安芸高田市の行っている連携についてお話したいと思います。

安芸高田市国際交流協会は2008年に立ち上がりました。2014年にNPO法人にして、市と連携ができる体制を作っております。災害対応について、八木の広島市豪雨災害時に、今後もっともっと大雨災害が増えるのではないかという予測のもと、安芸高田市と国際交流協会、そして、ここが少し他の地域と違うと思うのですが、社会福祉協議会の三者による協定を結んでいます。それで、今回の西日本豪雨災害についても対応させていただいたという事例があります。協定を結ぶことによって何がいいかというと、常に情報が開示されてきます。まず行ったのは、安芸高田市の危機管理課からそろそろ情報を流しますという事前情報が我々のところに入ってきます。それを先に翻訳を始めてほしいと。そして我々は多言語化していくのです。ここでほかの連携が動きます。我々のところでは、中国地方に同じ目的で活動している、多文化共生に関わる人間がネットワークを組んでいます。それが、こういう情報をこういう言語で翻訳をしてくれる人はいないかという情報を発信します。そして、その情報を翻訳していただけるところに、情報を流して翻訳してもらうという体制を作っています。

また、もう一つの連携として、広域多市連携パートナーシップ協定というものを作っておりまして、これは今日参加されている京都の城陽市国際交流協会、兵庫の西宮市国際交流協会、京都の京丹後市国際交流協会と協定を結んでいます。なぜそんなに遠くと協定を結んでいるのかというと、災害が起きるとたいてい近くではサポートしにくくなります。それで、遠くの国際交流協会さんと協定を結ぶことによって、助け合いができるのです。 

また、協定を結んでいる4つの国際交流協会同士、毎年1回どこかの地域で防災訓練を行っています。多言語支援についての訓練を行っておりまして、多言語支援センターを立ち上げたら、相互に助け合える連携をどうつくっていくか日々検証している状況です。その中で、今回の西日本豪雨災害ではたくさんの方に助けられ、防災情報や避難情報を出すことができました。我々の中でやっている連携の部分です。広い範囲で連携を行うことで、防災、災害時の対応をしようとしています。ただ気をつけるべきは、地震と豪雨災害を一緒にしてはいけないことです。まず、地震はいつ起こるかわからない。日ごろの備えをいかにしておくかが大事であるが、備えは、どのくらい対応できるか非常に分かりにくいと思います。今回のような豪雨災害は、事前に気象情報が見えます。気象庁からの情報が出てくる。市または色々な団体間でネットワークを作って共有し、その情報をいかに早く共有するかで減災に繋がると思っていますし、これからはそれが求められてきます。

広島県での対応を紹介します。県では、多言語支援センターを立ち上げることはしませんでした。これまでそうした経験もなく、協定も結んでいない、マニュアルも整備されておらず、非常に困惑されていた。県の危機管理で多言語情報を機械翻訳で対応し、情報提供されていた。ひろしま国際センターでは、情報発信をどうすればいいか迷われていて、自治体国際化協会(以下クレア)の方と共にひろしま国際センターに出向き、多言語支援センター立ち上げの提案をしましたが、その必要はないのではないかという結論に至りました。4言語の対応をするために通訳を緊急雇用し、市町に連絡文書を流されました。実際には、呉市、安芸高田市、海田町、安芸高田市国際交流協会の4団体からしか、情報の多言語化を求められなかったようです。市町・行政も今回は災害が広域だったため、職員だけでは現場対応が、回らなかったことが見て取れます。また情報によっては、言語が限られていたので、広島市を通じて、広島平和文化センターで対応したと聞いています。連携で対応されたというのが見えてきています。

ひろしま国際センターが、市町の行政組織だけに支援要請に頼ったのが難しかったようなので、ひろしま国際センターが組織するひろしま国際交流サミット約160の団体にも情報発信を依頼しました。福山市にもたくさんの団体もあると思いますので、それら団体に情報発信したらどうかと提案したが、情報発信の時期が遅かったので、あまり反応をいただけなかったというのが状況でした。

多言語支援は、福山市は、ふくやま国際交流協会が中心となって、多言語化を進めて対応された。また、東広島は東広島教育文化振興事業団で対応をしたと聞いています。今回は、災害が広範囲であり、なかなか広域連携での支援ができてなかったと感じています。

楊さんもお話をされましたが、熊本の事例を話します。熊本地震では多言語対応センターを設立させてもらいました。熊本市国際交流会館からクレアを通じて、NPO多文化共生マネージャー全国協議会経由で我々に連絡が入りました。そしてネットワークを通して支援体制をつくり、まず立ち上げていきました。多言語支援センターでは英語・中国語・韓国語による多言語情報を発信しました。現地で通訳・翻訳ができる方だけでは足りず、外部に出して対応しました。今回の熊本地震では、各方面から飛んできてもらい多言語支援センターを立ち上げました。この時活躍したのが多文化共生マネージャーという組織です。クレアの資格認定で、年に1回講習を受け、多文化共生マネージャーの資格を付与しています。現在、全国に約450人の「タブマネ」がいます。そのタブマネの人たちと連携して多言語支援センターを立ち上げました。

先ほど、楊さんからもありましたが、熊本ではネットワーク、特にムスリム教会のネットワークがすごいと思いました。ムスリム教のネットワークも、先ほどのバンに荷物を積んでいた写真を見てわかったと思いますが、全国からたくさんの物資が教会に届けられ、それを最初は教会関係の方に配って、その後小学校の避難所に対しても配りたいという情報が、熊本市国際交流会館の入り、そちらに出向いて対応しました。

色々なネットワークを通してサポートしていくことが、今後必要になってくると思っています。特に支援者と要支援者が一緒になって、行動していくことが求められます。制度の壁・言葉の壁・心の壁の3つの壁をどのように対応していくかです。小さい規模で、家族・親戚のネットワーク、これが一番初めのネットワーク、次に近所・グループサークルなどで支えあう。外国人支援では、日本語教室が力になっています。そこから、被災された外国人情報があがってきた状況があります。次が地域・団体・企業です。実習生がいる企業では、地域内でネットワークを広げていく必要があります。

床下浸水しているのに、カンボジア人の人たちは避難しませんでした。なぜか分かりますか? カンボジアでは床下浸水が頻繁にあるからです。だた、カンボジアでは水が流れないで浸かっているが、日本の災害は、水が流れ危険であると言う違いが理解できていないのです。避難所に行ってもなじめない。みんな日本語を喋っている。われわれは外国人だ。居づらい、と立ち去ったブラジル人もいました。そういう人たちを近い親しい人々がサポートするのがよいのではないでしょうか。

譚さんも仰っていたFacebook、これは使えると思いますが、一番の問題はWiFiです。外国人はもっていない人も多く、コンビニ付近で一生懸命接続しようとしています。まずインフラを整備すれば、ネットワークがいっそう動くのではないでしょうか。ぜひ、そのあたりを重要視して欲しいです。ネットワーク・連携によって今後の災害・減災に繋げていただけたらと思います。

●事例紹介(4)
「企業における外国人の雇用と西日本豪雨災害での対応について」
講師:菅野 竜平氏
ダイキグループ 株式会社ダイキ 海外事業部 次長

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 本日、企業から一社参加ということで、目線を変えて、今私たちがやっている取り組みや、西日本豪雨から得た教訓を皆様と共有できればと思っております。よろしくお願いいたします。

 まず簡単に、弊社のことを少しご紹介いたします。弊社は、広島県呉市に本社を置く技術者と技能者の集団でございます。派遣もしくは請負という形で、日本のものづくりのメーカーと一緒に仕事をしている会社です。まだ創業22年目の若い会社で、北は仙台、南は福岡・長崎、日本全国で8か所、海外にはスリランカとベトナムの2か所、法人を保有している会社です。

 自分で言うのもなんでが、弊社はとても珍しい会社で、グループで色々な種類の在留資格を持つ外国人を雇用しております。ダイキグループ全体で70名程度の外国人を雇用しています。今在留資格で認められている、技術・人文知識・国際業務の方々を中心に、技能実習生の監理団体も持っていますので、技能実習生もおりますし、関東圏と本社地区では難民の方々も雇用しております。関東圏では、難民の申請者また、難民認定された方々、あと広島県呉の方では、国、政府の「第三国定住制度」で、去年の4月ミャンマーから5家族を受け入れました。そして彼らを正社員として雇用しました。グループ1社で、これほど多様な在留資格を扱っている会社はとても珍しく、在留資格においても日本語のレベルとか支援ニーズが異なるというデータは、普通の企業より持っているのではないかなと思っております。

 現在計15か国の方を会社・グループで雇用しております。東南アジアが多いですが、アフリカ、遠いところではペルーの人も雇用しております。

 会社としては10年ほど前から「日本人が少なくなるな」という危機感を持っておりました。最初、日系ブラジル人から始まり、呉という地域は造船所がとても多く、たくさんの日系人の方が手伝ってくれました。日系人の方から始まり、技能実習生等々に広げていきましたが、企業として大変苦労しました。

 実習生について、弊社はスリランカに10年ほど前拠点を出し、スリランカの技能実習生を7名初めて受け入れました。皆で広島空港に迎えに行き、7人が笑顔で来てくれ、明日から仕事だぞ!頑張るぞ!と言った次の日の朝、7人中6人が既にいなくなっていました。失踪です。次の日には残り1人もいなくなっていました。入国管理局にはすごく怒られました。5年間くらいスリランカからはもう停止ですと言われました。それくらい、いろいろ痛い目あってきました。もちろん広島地区だけの受け入れではなかったので、東日本大震災の時に弊社が監理している所では、ベトナムの方、中国の方、フィリピンの方が震災の被害にあいました。自然災害だけでなく、文化の違い、また価値観の違いから、弊社の中での気づきというのをたくさん与えてくれました。

 その中で今、会社の中でもまだ行っている途中ですが、重要なことは大きく分けて2つと思っています。「理解」と「教育」です。これは外国人側というよりも、本日訴えたいのは、受け入れ側の方、企業側の方に対してです。日本企業の理解が少ないと感じています。弊社内でも外国人への理解を促すためにとても時間がかかりました。企業はお金にならないことについてはとても腰が重いです。役員を説得し、お金にならないけれども今後につながりますよ、何かあったらどうするのですか?ということを社内で教育すること。役員を教育した後、次は従業員です。従業員は一緒に働きますし、面倒を見ていく立場ですが、従業員への理解という部分にとても時間がかかりました。10年やっていますが、まだまだ道半ばだなと感じております。今まで様々な経験をさせていただいたので、弊社の取引先や商工会議所から依頼をいただき、我々の取組もご紹介させていただいております。今後この経験を生かせればと思っております。

 今、日本は、外国から選ばれる国ではなくなっています。技能実習生の問題も多々ありますが、日本は外国人が行きたい国、というのはもうまやかしでしかなく、企業の思い込みでしかありません。今、日本の企業は選ばれる場所ではなくなっている、選ばれる国・自治体になってないというのが現状でだと思います。

 4月に法改正がありますが、企業・自治体、今日ご参加の団体の皆さま全員で手を取り合って、外国人が日本に来たい、日本に来たら安全に暮らせると思ってもらえるようにすることが、本日のテーマでもある、[ダイバーシティ×防災]にも繋がっていると思いますし、1つのきっかけになればいいなと思っております。

 弊社は外国人がたくさんいるので、教育施設をたくさん作っています。東京には、法務省から認可いただいた日本語学校を保有しています。また、本社では日本語教育と技術の研修センターを、本社、愛知県東海、広島県世羅町で、廃校となった高校を買い取って、避難訓練や、溶接の練習などに利用しております。また、ベトナムとスリランカに現地法人を持っております。簡単にいうと大学と手を組んで日本語センターと技術のセンターを設けています。日本に来る前の防災学習というのも大事なので、ベトナムとスリランカでは日本に来る前の防災の知識と、予備知識についての学習を実施しているところであす。

 次に、西日本豪雨発生時の状況をお話します。今回は、長く定住している外国人ではなく、先ほどご紹介した「第三国定住難民」についてお話します。彼らが4月に来たばかりの、3か月経ってない時に豪雨災害がおきたので、それを取り上げて来日直後の外国人が災害時にどうなったか、という話をします。

 まず76日、雨が降り始め、市内の小中学校が休校になりました。第三国定住難民として来日したミャンマーの方々5家庭22人には小学生、中学生、0歳、1歳などたくさんおりますが、みなさん学校・保育所等に行かれることになりました。お母さん方は休みで、仕事しているのはお父さんだけ、ということです。先に、呉市全域に避難勧告等が出ましたので、会社の対応としてまず外国人社員に電話での連絡・注意喚起を始めました。夜になって、避難指示が発令されました。会社で本部を立ち上げ、まだ会社の周りは大丈夫だろうという判断の元、自宅待機を命じました。また、お父さん方、勤務中の方、夜勤の方もいましたので、日本人の従業員が会社で本部待機ということで、営業等のスタッフが翌朝まで待機して対応しました。そこから電話がつながらなくなったりしました。断水にもなりました。問題が多々出できます。

 ここで、事前にしておくべきだったという問題が出てきました。彼らは来日したばかりで、災害の教育が不十分でした。日本語でのアナウンスが全く理解できてない。来日わずか3か月なので情報弱者になってしまった。また文化の違いから、日本のお風呂に入りたくないとか、食文化の差で食べられないものなどの問題も出てきました。大雨の去った後、すぐ呉市の方は晴れたので次の日の朝見てみると、お父さん方がリュックサックをしょって水筒持っていました。天気がよいので今から山にハイキングに行くと。防災、減災への備えについて教育も出来てなかったという反省点が出てきました。

 次に断水です。呉では77日から始まりました。給水車の情報等も発信しましたが、家族や、小さいお子さんがいると炎天下で待てないため、社員の協力、企業の協力が必須という状況でした。東京では災害がそれなりに多いので、災害担当者を選任していますが、先ほどもお話があったように呉市の本社では災害が少ないことから、災害時対応を決めておりませんでした。日本人のスタッフも被災者なのですが、いつだれがどのように行うか整備されておらず、日本人のスタッフの中でも「誰がやるんだ」という問題が起きました。

 また、家族で来られたので、お子さんがもうすぐ生まれる妊娠中の方もいらっしゃり衛生上の管理など企業には限界があり、病院の方や団体の方に助けてもらったり、ということが多々出てきました。

 一方、災害後、彼らは、情報弱者でしたけが、呉の自治体の方、また、呉で「ひまわり21」というボランティアの日本語センターがあるのですが、日ごろからうまく協力関係を持っていたので、ミャンマーの方も支援する側にまわってくれました。情報がないだけ、知らないだけで、先ほどの先生方のお話もありましたけど、すぐに支援の方にまわれるというところも外国人の強さかなと思っております。彼らは、決して支援されるのを待っているわけでなく、情報さえあれば自分たちで動きますし、日本人の方々、近くの方々が大変だということであれば、率先して助けに行きたいという方々でしたので、決して外国人だからと言って、支援するのが面倒くさいと思うのではなく、外国人をどう教育して、支援をする側になってもらえる人材に育てるのも企業側の責任としてあると思っております。

 今回の災害に関する課題と原因分析です。まず始めに、企業として事前教育が足りなかった点を反省しています。企業なので最初に、仕事に関する日本語や仕事に直結することは集中して教育しておりました。今まで災害がなかったという点は言い訳になってしまいますが、今回ちょっと間に合わなかったのが反省すべき点と思っています。また今回の家族に限ってですが、テレビのある家族が2つ、携帯をもっている家族が少なかった等の情報把握も、怠ったと反省しています。今回、ミャンマーの方々ということで、地元のコミュニティもままなりませんでしたので、もう少し企業として、雇用している社員の状況の把握はもう少ししないといけないと思っています。豪雨が過ぎた後も、車がなかったりJRが止まったりと交通手段も問題でした。また生活費、お金に余裕がある方々も少なかったので、タクシーでコインランドリーや給水車に行くわけにもいかず、1週間断水が続いた中、企業として常時サポートは出来ませんでした。企業としてローテーションでサポートする枠組みを作らなければならなかったと思っております。文化的ハードルも越えていかなければならなかったかなと感じています。

 企業としても、雇用する外国人社員が災害に関して学ぶ機会を、継続して設けていかなければいけないなと思っています。災害がある国ない国があり、民族や個々人によって背景がことなるので、今回西日本豪雨災害の後に、ミャンマーの方に集まっていただいて、あの時どうだったこうだった、何が必要だった、どう思ったということもしっかりと事後の教育に活用をしています。また、今回の災害をいい教訓にそもそも事前教育にもう少し力を入れなければいけないと思っています。ので、そういうところは企業としてこれからも必要かなと思っております。

 まとめに入りたいと思います。どこでもそうですが、災害時は地域に住む全員が被災者なので、会社の従業員皆被災者という中で会社として誰がどのように動くかという、事前のシステムの構築は会社としてやらなくてはならないと感じております。これから外国人を雇用する企業がたくさん増えますので、企業として整備しなければいけないなと思っております。

また、外国人を雇用している私たちでさえ、どういった団体の方があり、自治体の方がどのようなことをしているかといるのは、正直私もよく分かっていません。そして、企業は、自治体の方、団体の方の言う事を聞かない傾向があります。それでも、企業として必ずやらなければないと思っていますし、雇用している責任はまず企業と思います。本日のようなセミナーを、企業が主催して企業が集まるような枠組みを作っていければ面白いかなと、今日見ていて思っています。

最後に、弊社として、今回の教訓として今試しているころがあります。1つは情報コーディネーターの選出です。外国人社員が会社の誰に連絡すればよいかすぐに分かるようにすること。自治体の方また、国際交流協会の方が、ここの会社に何人外国人がいるか把握されていると思うので、この会社だと誰に連絡すれば分かるようにしておくこと。もうひとつ、簡単なトリラジーの表を作っています。弊社はたくさんの拠点を持っているので、この外国人の言語能力はどのくらいで、どのくらい話せるかなどランク付けしています。日本語の分からない方、ある程度分かる方の優先順位をつけるなど災害時対応に取り組んでいます。また、技能実習生を監理している組合と、日本語学校の留学生に防災リーダーとしての簡単な社内資格制度を作り、学んでもらっています。リーダーを務める外国人にはメリットとして授業料を少し安くしたり、という取り組みを始めています。

簡単に私たちの会社の例を申し上げましたが、一つの参考にしていただければなと思います。ご清聴ありがとうございました。

●パネルディスカッション

パネルディスカッション

田村氏:今日は、誰も取り残さないをテーマにして、ダイバーシティと防災について事例紹介をしてきました。ここからはパネルディスカッションになりますが、まず冒頭にJVOAD、全国災害ボランティア支援団体ネットワークの事務局長の明城さんに、コメンテーターとしてお忙しい中お越しいただいております。まずは明城さんから、簡単にJVOADのご紹介と西日本豪雨の対応と、そして、それぞれ事例紹介等ございましたので、その発言から感じられた課題等、今後の可能性について、お話いただければと思います。よろしくお願いいたします。

明城氏:今、ご紹介いただきました、全国災害ボランティア支援団体ネットワーク、JVOADと呼んでおりますが、明城と申します。今日、JVOADの関連資料として団体パンフレット、「つながりから共同へ」という冊子と、熊本地震支援団体調査結果資料を3つご用意させていただきました。

JVOAD2016111日に設立されたNPO法人で、まだ設立から2年と少しの団体です。主な構成団体は、災害が起きた時に何らかの被災者支援活動を行う、全国的な組織です。全国社会福祉協議会、日本生活協同組合連合会、日本青年会議所などが入っていたり、NPO/NGOのネットワークが入っていたり、こうした団体が連携して災害支援に対応するという団体です。

なぜこうしただ団体を作ろうと思ったのか。東日本大震災がきっかけでした。たくさんのボランティアが駆けつけて、個人のボランティアに加えて、多くの支援団体が現地に入りました。個人のボランティアはボランティアセンターがあり、何とか対応できましたが、組織として支援団体をうまく受け入れて調整する仕組みが東日本大震災時には無かったのです。結果、8年たっても誰がどこで何をしていたのか、全体像が誰もわからないということが起きました。現場では、支援内容が重なったり、支援が届かなかったりという状況がありました。反省点です。それらを踏まえて、次に繋げるため支援に関係する人たちで連携、調整をするためにこの法人を立ち上げました。

立ち上げの準備中に熊本地震が起きました。熊本地震で実際行ったことをパンフレットに記載しています。たくさんの支援団体が来ましたが、それらの団体が集まって、自分たちが何をするのか、さらには自分たちの活動におけるニーズも共有もしました。自分たちの支援と、困りごとを共有することで、団体同士の連携を生むための情報共有ができました。一団体では解決できないことも、この部分の専門性のある人と連携すれば困りごとを解決ができる。社会福祉協議会とも協議する場を設けて、NPOが把握している困りごとを、どうやって行政やボランティアセンターと解決していくのか、また市町村の役場やボランティアセンターが持っている困りごとの共有が熊本地震で行われました。去年起きた、大阪北部地震、西日本豪雨、北海道地震の時も連携が図られるようになった。その橋渡し、調整役が私たちです。

田村氏:外国人対応の事例紹介などを聞いて、明城さんの立場から何か感じたことがあれば。


明城氏:外国人の支援を専門としていないのですが、これまでの支援活動を通じて凄く勉強になったことが一つあります。外国人支援だけでなく、一般の人を支援する時の課題と同じだったことです。要援護者の安否確認が毎回できているのか、支援制度の情報が届かない、相談窓口を開いても来ないことや、ニーズ把握ができないなど、共通の課題が多かったです。外国人の方はひとくくりにできないほど、在留資格も多様、国籍も多様。様々な取り組みがあるのを今日聞いてみて、自治体の取り組みや国の取り組みが、一般の支援のヒントになるのではないかと思いました。

田村氏:2つテーマを決めます。まず1つめは、課題、発表を聞かれて感じた、とりわけ外国人の対応について課題に感じていること、言い残したことも含め。

もう1つは、今後の可能性。連携がキーワードで色々な担い手と連携しながら、どうやって誰も取り残さなない、という部分を実現していくか。

私が課題かなと思ったところを述べます。

岡崎さんの発表では、「人員不足」がキーワードだったかと思います。福山市に限らず、色々な自治体で外国人対応をしているが、災害時は外国人対応を担当している職員は、他の部署の応援要員になっている。外国人対応をしたくても、出来ない。

譚さんは、市の範囲を超えた支援が課題とおっしゃいました。譚さんとしては総社市の職員としては出来ないことがあったことが課題とのことでした。

明木さんの発表は、普段は私も広域連携とネットワークの重要性、多文化共生マネージャーや多言語支援センターの説明をする立場なので、今日改めて聞いていて、とてもフレッシュでした。多文化共生マネージャーは全国500人程度いるだけど、課題もあったかなと思う。その課題についても話してほしいです。

菅野さん。受け入れ側の課題として、理解と教育とストレートに言ってもらっていますので、企業が学ぶ場を作ったりする上での課題、企業と自治体や国際交流協会との連携の話をお願いします。

楊氏:全体を通して勉強になったと思いますが、まずは自分が興味のあることから話したいと思います。

去年の3月まで学生だったので、今までの調査も研究で多く関わっているのは、行政、大学や国際交流協会の方かと思いますが、企業との関係が少ないです。一度、横浜の調査で企業に伺いました。受け入れている外国人に対しては防災訓練、教育もしていた。地域の防災訓練に参加したが、その時が最後の参加だったようです。自治会の人にとっては、外国人はお客様みたいな感じ。防災訓練しか参加せず、他の地域の活動などに参加しないのは、少し迷惑かなと。企業の話は大変珍しくて、素晴らしいなと思いました。外国人と自治会との関係性をどうつくるかが、今後重要な課題だと思います。

どこに外国人がいるか、どこに固まっているかは、データから見てわかると思います。国勢調査から、ある程度どこに集中して住んでいるかはわかるので、ぜひ活用して地域の状況を確認してほしいです。国際交流協会の繋がりや、多言語支援センターが作られていて、災害時に被災地ではなくて、遠くから支援ができる仕組みが大切。災害直後の行政の様子を見せてもらったが、直後の様子は、とても大変そうでした。自治体職員の手が回っていないのですね。事前に準備できるものを準備して、災害時にどこまで生かせるか、すごく課題だと思っています。

田村氏:災害が続くとたいへんではありますが、次の災害が起きると前一緒に活動した人と共に対応出来るので、前回失敗したことを今回は生かせます。連続して起きて欲しくないけど、連続して起きるからこそ、すぐに反省を活かせるというのは昨年のポイントだったと思います。

岡崎氏:課題として。第一部でも言いましたが、課の中に国際交流協会があるので、課は協力部なので、動員がかかってきます。外国人対応が厳しかったですね。市民相談課なので、一般の方の被災者支援相談窓口を任されました。事前に危機管理担当から先に情報を知らされていて、協会担当に内容を伝え、やさしい日本語を出来るだけタイムラグが無いように発信出来たのですが、他の業務との兼ね合いがあり難しかったです。協会の事務局員が対応出来ないのであれば、他の人材の協力を受ける体制が必要です。

田村氏:自治体の災害時のマニュアルは結構昔に作られているので、現状に沿っていない場合があります。ある自治体から災害時の事務分掌を見直したいとの依頼を受けたので内容を確認したら、なんと全体の4割が「情報の収集」でした。全ての部署で情報収集している。1箇所でやればいいのに、40%は削減できるのに、と思いました。

 外国人住民が増えているところでも現状に合っていない。「外国人対応は、市長への表敬対応の部署だから、災害時に人員は不要でしょう?」という感じでマニュアルが作られている。担当者としては、外国人住民も増えていて、災害時も外国人に対応したいと思っているのにできないことがある。変化に応じたマニュアルを作っていかなければなりません。

譚氏:課題について、隣の市であっても、情報共有が無いのです。市の職員として、個人としては知り合いがたくさんいたので、行きたいのに勝手に行っちゃダメだと。私たちは行きたいけど、手が届かないのです。県の力がほしかった。市の力ではダメなので、県の力で今、倉敷市はどうなのか、把握しているのか。外国人にはどんなニーズがあるのか分かってない。分かる頃には、職員は異動になって、また最初からになる。仕方がないが、それをマニュアルにして残せれば、誰と連絡をしたらいいか、など県としてまとめたらいいと思います。

田村氏:自治体職員はどうしても「領域」があるので無理があります。民間で動きやすい団体を作るとよいかなと思います。もう1つ、県の役割がとても大事です。2007年中越地震の時に初めて災害時多言語支援センターを作りました。新潟県として柏崎市に設置しました。良かったのは、県が設置したので隣の柏崎町の支援にも行けたこと。これが柏崎市の多言語センターだったら刈羽村には行けませんでした。県が多言語支援をして、設置主体になって欲しいと伝えていますが、中々できない。岡山県だけの問題ではなく、どこの県でも同様の問題があります。

続いて明木さんお願いします。

明木氏:多言語支援センターを立ち上げるにあたって、人の集め方が課題です。みなさんたくさんの業務を持っているので、それを置いて来てもらうことは出来ません。人選も必要になります。熊本の時は、単に被災地を見たいという理由で多言語支援センターに来た人もいました。ちゃんと活動してもらえる人に来てほしいです。広域の活動の中で、目的意識がしっかりしている人が必要です。目的は要支援者の命を守ることです。支援に行く人は、訓練が必要です。ルールをきちんと守ることが必要です。避難所に入って大声で笑ったり、写真を取りまくる人もいましたが、ルールをきちんと学んでほしいです。

行政との連携が必要です。広島県も出来ていませんでした。行政文書は非常に難しいです。日本人が見てもわからないです。そういう言葉をやさしい日本語で発信してもらえたら、多言語対応もしやすくなります。連携で必要なこととして、必要な言語の数に対応し、支援できるようなネットワークを持っていてほしい。

田村氏:安芸高田市は同時に被災しない場所として、京丹後市と連携している。福山市でも広域連携ができたらいいですね。

菅野さん、企業受け入れ側の理解と教育という分かりやすいキーワードがありましたが、いかがでしょうか。

菅野氏:登壇者の方の話しを聞いて、色々なことをしているなと思いました。皆さんに知ってもらいたいのが、思っている以上に企業は知らないことです。自治体、NPOは何をしているのか。もしかすると、自己満足になっているかもしれないです。企業は知らないと感じて欲しい。企業にもどうにか教育義務のような枠組みが必要でないかと思います。どう自治体からの情報を企業に伝えるか、またその反対もどうするのか、システム枠を作らなければいけない。

会社の取り組みで、全国の商工会議所にチラシやDMを発送しています。自治体でも在留資格が知られていない現状があります。技能実習制度は法務省が管理している。在住している外国人が何の資格できているのか、自治体は知る必要があると思うし、4月に法令が変わり、特定技能が認められると、ますますニーズラックになるように気がします。まだ解決策は浮かんでいませんが、企業の責任をみんなの力でもう少し課していきたい。自治体には、舵取り役をして欲しい。

田村氏:自治体に求める役割について、例えば場を作るとか呼びかけるなどがあると思うが、他に、もしあれば教えてください。

菅野氏:自治体で何か講習できるものはないか、自治体によって災害も違うし、自治体だけが持っている災害情報もある。日本語学校、企業へパンフレットやDVDなどを提供して欲しい。

田村氏:ありがとうございます。消防などは教育、啓発情報を提供していますが、日本人向けなので、外国人には何を言っているか分からない。ちゃんとチューニングが必要。まずチューニングの場として、外国人を雇用している企業の方からアドバイスをもらうのはいいかもしれない。

明城さんにコメントをいただきたい。

明城氏:支援の調整を行う際に、誰一人取り残さないために、制度からもれているところを気にしています。あともう一つ、外国人が、どこにいるかは分っても、支援の、カバーがきちんと出来ているのか。在留資格によって受ける支援が違うことがないのか、そういうところもどこまで理解が進んでいるのか、考えていく必要があると思う。

田村氏:一つ目のアウトリーチについては、私は後退していると思う。現在はウェブサイトに載ったものを多言語に翻訳しました、SNSで発信しました、それで対応した気分になってしまえる。でも翻訳することは手段であって目的ではない。そこで満足してはいけないと思います。アウトリーチしなくなってしまっている。したがって漏れがいっぱいあるのではないかと思っています。阪神淡路の当時は、インターネットがなかったので、避難所に必要な情報を手で持って行っていました。それを何度か繰り返していました。足を運ばないと情報が届けられなかったのです。

また自治体職員もですが、外国人支援をしているNPO法人も在留資格について知らなさすぎる。有効な在留資格がなく、見舞金がもらえないケースもあった。災害で生活状況が変わって、在留資格の更新ができなくなることもあった。極端な話だと、阪神淡路大震災のときに日本人のご主人がなくなって、資格を更新するときは日本人の配偶者ではないから更新できないということもあった。基本的なことは知っておくべきだと思います。

楊氏:お金をもらえるか否か、最近は在留資格を持っていれば義捐金ももらえるようになった。もらえない人は短期滞在の人。災害に限らず、普通の生活保護の外国人はもらえない。今は長く住んでいる外国人はもらっています。私は、在留資格に対してあまり気にしていなかったです。

留学生とかだと大きな災害にあったら帰ってしまうのです。そのような人たちに(長期的な)支援は必要ないが、直後の支援が必要。だから在留資格だけではなく、生活実態に応じた対応は必要だと思います。

国勢調査を自治体の防災担当の人たちに見せたが、知らない人が結構いました。ビックデータの中で、どれが使えるのかは日本人も結構困っているようでした。地域にどれくらい外国人が住んでいるのか自治体も把握していない。

田村氏:2順目にいきます。これからの取り組みについて話したいと思います。連携を中心に話していただけると有り難いです。

岡崎氏:行政職員では手が回らないようなことが出てきてしまう。その中で民間の方の手を借りる、地域の中で外国人防災リーダーを養成していく。彼らと思いを寄せながら取り組んでいくことが必要だと思います。外国人の方がたくさん住むとコミュニティができる。キーパーソンの人とのつながりも持ちたいと思っています。

先日、多文化共生マネージャーの方が、ベトナム人の技能実習生の方の発表会を行いました。

その時に、技能実習生の方の相談にのったり、自分で日本語教室をしたいという青年がおられたので、そういった人とも是非連携をとりたいと感じました。

日本語学校、大学、技能実習との連携は大切だが、市役所は監理団体の方との接点がほとんどない。どういう実態で、どこの企業で働いているかが分かっていない。その部分について、監理団体との連携をしっかりとっていく必要があると思います。

田村氏:譚さんに質問が来ています。

外国人の防災リーダーをどうやって発掘したのか。どんな人で、どうやって繋がったのか。

譚氏:総社市では、最初に集まったグループは外国人コミュニティで、そのメンバーに声をかけて、防災について知っていることや、防災グッズを持っているか聞きました。何を準備したらいいのかわからないとか、グッズの用意がもったいないなどの意見が出ました。そこで、防災について勉強会を企画したら30名集まった。み

私たちは、外国人として、日本に住んでいる外国人が日本人に負けないような防災知識を持つため、南海も真剣に防災について学びました。日本人の若い人たちは防災訓練に中々参加しません。恥ずかしいと思います。防災訓練に参加しましょう!外国人が頑張っているから、私たちも頑張りましょう!となってほしい。ボランティアだけではなく、私たちが活動できるところを、市役所から教えてほしいです。毎年、防災訓練で一つのコーナーを設けて、防災について日本人にも教えたりしています。

田村氏:あとは役割がたくさんあるということですね。制度だけを作っているところはあるが、「名簿のみあります」が多い。

明木氏:地域にいる外国人と見える関係を作る必要があります。特に近所にいる人と、です。町内会に入って無くても、近所づきあいはしてもいいと思います。見える関係を作っておくことで、挨拶だけでもしておけば、ここにこの人がいるのだということがわかります。

これからは、転入者に対してオリエンテーションを行う仕組みを作ろうと思っています。災害のみならず、生活のこともオリエンテーションの場を提供しようと思っています。そのことで初期段階での情報提供はできると思います。

田村氏:連携や広域連携についてはどう思いますか?

明木氏:広域連携については、これまでまだ四国が入っていないので、四国との連携に取り組んでいきたいと思っています。大きな枠ではタブマネもいるし、連携できたらいいなと思っています。

田村氏:そうですね。南海トラフ地震が今一番嫌な災害だと思っている。南海トラフが発生したらその時、高知の人たちはこちらに逃げてくるのではないかと思っています。その時しっかり連携がとれたらいいかなと思う。

菅野氏:企業全般に求めるもの。企業に求めることとして、社内教育をしていく必要があると思います。

在留資格についても、災害についても、企業内でやっていくことが重要かなと。代表や所長だけではなく、もう少し若手が出てきて、話し合える関係を作ることが必要だと思う。

広島の外国人の半分は技能実習生が占めています。特徴的なのは、120の監理団体があること。全国から見ても、とても多いですね。小さい会社が技能実習生を少人数受け入れる。小さい監理団体が多い。不名誉ですが、75パーセントが行政指導受けたりしている。自治体は関与しないが、4月から技能実習生は無試験で特定技能に移行されるので、企業の直接雇用になるため、地域・行政などはもっと問題が見えづらくなり、大変になると思う。

田村氏:企業の社会的責任、CSR、人権・雇用・観光に関して、グローバル企業はセンシティブ。メーカーは取引先、部品工場にいたるまで、国際社会の要請に応える必要性がある。EUにものを売るとなったら、特に大変。きちんと人権が守られているか確認されます。日本国内の雇用、特に外国人について国際社会の人権感覚とずれていることが注目されています。技能実習制度自体が、国際社会から見るとありえない制度になっています。制度として問題があるので廃止したいというのが、グローバル企業の本音。メーカーや流通企業は調達先を変えるだけですが、地方の中小は注文がもらえなくなってしまう。外国人の雇用をきちんとすることは、産業労働の予算でやっていく必要がある。国際社会の動向についても、NPOは知っておかねばならないと思います。

明城氏:国内で取り組むべきことは2つあります。

300団体程度知っているが、今日聞いた話をもっと理解していく必要があります。繋がって、団体と勉強していく必要がある。

2点目は、今、行政と社会福祉協議会など色々な支援団体、いわゆる三者連携ですが、三者連携の研修の中で必ずワークショップを行っています。その中で必ず外国人が困るだろうということがあがる。でもそれについての答えはいつも出ないのです。広く三者連携を深めていかないと、課題解決しないと思う。深めた結果、誰がどこまで対応しているのか把握できるような関係を作っていく必要があると思います。

楊氏:私は、今後の取り組みについて2点あります。地域に住んでいる外国人の現在の状況、変化について行政に知ってもらう必要があると思います。昔は稼ぐために日本に来ていたが、今は変わっています。みな日本で定住化しているので、そのことを地域で知られていない人に理解してもらうような取り組みが必要だと思います。外国人の教育について、日本語教育は大事だけと、日本のさまざまな文化や、住んでいくにあたって必要なことを学ぶことが必要です。

観光客に通訳アプリを使ったり、対応できると思っています。大きな災害が発生したら、システムを頼りすぎないようにしてほしいと思います。ライフラインの停止など、長期化した時には特に、人の力が必要です。人の力を育成することも大事だと思います。

田村氏:私は24年やってきて、東日本以降、外国人だけではなく災害対応については進んでいることもあります。三者連携は以前からしています。災害ボランティアの分野では進んでいるところもありますが、ただ独自の文化に進みすぎてガラパコスになっている。もっと経験を生かしていく必要があります。これまでの経験をきちんと、社会へフィードバックしていくのも大事だと思います。

田村氏:質問の時間を取りたいと思います。

Q:ネットワークづくりは、国際交流で繋がっていきますが、その繋がりが地域の自主消防ではどうやって生かしていったらいいのか。神辺町にも実習生がいますが、地域の中小企業が指導していかないといけないのか。自治体のほうで災害の支援をしてくださいと指導して欲しい。

Q:共同連携の時に先立つものが必要。無償の奉仕、丸投げしてしまう部分がある。お金の部分ですが、どういう仕組みがあるのか。今後そういったものがあるのか。見通しがあるのか。

Q:ガラパゴス化しているとのことだが。外国人支援だけではなく、上手く行っている事例があれば教えて欲しい。

明木氏:自主防災について。要支援者の中に外国人の枠を入れて欲しいという思いがあります。消防団に外国人をいれるようにしています。自分の分団には、東ティモールから来ている人がいます。

楊氏:地域の自主防災との連携については、調査は大学周辺。みんな最初は外国人が多いとは思っていないのです。大学や日本語学校があったら、相手に声をかけてあげたらどうかと思います。どういう状況なのか、一緒に参加しないか声をかけるだけでも、改善できると思います。どれくらい外国人が住んでいるかデータで知っていくこともできます。

岡崎氏:自治体からの指導はなかなか難しいです。要支援者に外国人が入るのであれば、外国人の方を把握していただいて、声かけをしていただけるとありがたいです。自治体で声かけをして、きっかけがあれば、市から何か出来るかもしれないです。

ボランティアの財源的な話では、ひろしま国際センターの方は、広島地域では、医療通訳ボランティアを始めています。ボランティア養成は済んでおり、費用は病院持ちです。入管法の改正で、そうした費用負担については、国で交付金なりの対策が行われるのではないかと思います。福山市でもボランティアの養成講座をやりたいと思っています。

田村氏:そもそも医療通訳がボランティアでいいのかどうかという問題があります。入管法改正が注目され、来年度から結構な予算が出るようですが、こうした政府の予算がなくても、地域でしっかりとしたしくみをつくり、職業として確立させるべきだと思います。

譚氏:総社市として、人権まちづくり課が担当しています。そこの地区に住んでいる日本の方と外国人の方と、顔見知りの関係をつくるようにすること。イベントだけでは、「イベントを行いました!」で終わってしまうので、もっと深い関係を作らないといけない。防災訓練などをする前に、ここの地域には、何人くらい外国人がいて、どこから来たかを教えてあげることが必要です。おはようございます。からでもいいから、「あの人を知っている」ということが、災害時に役立つと思います。

菅野氏:企業として答えると、商工会議所に打診したことがあるが、反応はゼロ。商工関係は、メリットがないと来てくれないです。特定技能の話とあわせて話しているが、反応が悪いです。企業には外国人対応を単体でアプローチしても、あまり意味がないです。こういった場を設けてくれるとありがたいです。

田村氏:指導するというより、ちゃんとやったところを認めていくことが大事です。横浜市では条件を満たしている企業名をウェブサイトに出して、地元の銀行が金利を優遇するなどのインセンティブを設けています。

明城氏:色々な分野とうまく連携するためには、行政との連携の必要があるが、われわれの担当になるところも、災害の都度、自治体によっても違う。毎回縦割りの壁にぶつかってしまいます。熊本地震の際には感謝しているのですが、役場内の横のつながり、他部署とつながるということを県の担当になってくれたところがよく繋いでくれたと思います。子どもなら、教育関係部署に繋いだり、瓦礫の撤去なら環境課、庁内の横串をさしてくれる動きをしてくれましたので、行政との連携が進みました。

田村氏:今日は、ここまでとしたいと思います。皆様ありがとうございました。


以上